ポケット倶楽部のこと

万が一忘れないように、昔のことを書きます。
大学2年になった1996年に通っていた大学の新しい校舎が完成し、インターネットが出来るパソコンが大量に配備されました。英語版のNetscape2.0が入っていたため最初は英語のページにしか行くことが出来ず、早稲田大学の千里眼や東大のODINなどを使って色々なサイトは探していました(Yahoo!JAPANがもう少し経つと出来ます)。自宅が学校から自転車で20分と言うこともあり、授業がない日や夏休みなどの間もパソコンのある自習室に入り浸っていました。
当時一番の関心事はラジオのツインビーPARADISEでした。放送終了と復活を繰り返し、たぶん第3期をやっていた頃だと思います。ツインビーPARADISEやパーソナリティの國府田マリ子さん関連のBBSに入り浸っていたことを思い出します。とはいえ当時は日本語のホームページはあまり多くないため、見ているのに飽きてきてしまいました。そのため夏休みの時にツインビーPARADISEのページを自分で作ろうと思い、HTMLやJavaScriptなどの勉強をしホームページを作っていました。とはいえ当時はホームページを公開すること自体困難で、学校に聞いてみるのも面倒で、自分で作ったホームページの公開はしていませんでした。その後はセガBBSに入り浸るようになり、そこにはいつもたくさんの人がいたため、自分でページを作ろうなどとは思わなくなりました。
年が明けて1997年に出会った物で人生を変えた物が3つあります。一つは「ポケットモンスター」いわゆるポケモンです。元々ゲームボーイは持っていたので、たしか何となく中古でソフトを買っただけだったと思います。印象的なCMは記憶の片隅にあったものの、口コミで評判が良いとかいう理由ではなかったと思います。それでもやり始めると結構面白い。特に集めるという行為が好きだったのですぐにハマりました。兄貴にもう片方のバージョンを買わせて、150匹コンプリートしたものです。ふつうにプレイするだけならそれで終わりだったはずですが、ポケモンの初期出荷バージョンだけで使えるバグ技というのがあり、たまたま中古で買ったのが初期出荷バージョンだったのでバグ技も色々試して見ました。バグ技で重要になるポケモンや技につけられている番号を全て調べたりしていました。そのときにこのデータを公開すれば他の人に役に立つのではないかという思いと、当時ゲームボーイを扱うのページが無かったため、自分で「ポケット倶楽部」というページを立ち上げて運営を始めました。ちゃんと公開して宣伝し始めたのが1997年5月30日でした。*1
他の2つはほぼ同時期に発売されているのですが、「ゲームボーイPocket」と「風来のシレンGB」です。「ゲームボーイPocket」はその圧倒的な小ささと「風来のシレンGB」の中毒性の組み合わせに講義の合間にやるほどにハマっていました。それなりにやり込んでいたので「風来のシレンGB」のデータもHPに載せたりしていました。*2その後は新作の「牧場物語」を紹介したり、他の人に紹介されたゲームボーイの埋もれた名作「カエルのために鐘は鳴る」をプレイして、ページのコンテンツにしていました。ゲームボーイってポケモン以外にもこんなに面白いんだよって伝えたい気持ちでやっていました。
ページをやっていて一番面白かったのはチュンソフトのサターンソフト「街」発売記念のバナーキャンペーンです。これは、「街」を応援するサイト(公式ではなく一般のサイト)にバナーを張っておき、それを探し集めるキャンペーンで、多く集めた人上位5名と多くの人に集められた上位5位のサイトに賞金と賞品が送られるという物でした。自分は集める方はほどほどにして集められる方に力を入れ、4〜5位くらいにつけていたのですが、ちょうど学校の正月休みがキャンペーンの終了直前に当たっており、その間全く宣伝できなかったため6位に後退してしまい、後一歩で入賞を逃しました。でもあのときに他の人が作った情報交換サイトにカウントダウンタイマーのJavaScriptを提供したりしてすごくいろんな人と関わったキャンペーンだったと思います。ああいうのまたどこかでやって欲しい気がします。*3
その後は仕事についても地道に更新は続けて、掲示板などを中心としたコミュニティサイトっぽい感じで運営していました。アクセス数(トップページのみ)としてはゲームボーイカラーの発売頃から盛り上がり1日500アクセス程度になり、ポケモン金銀が発売されると1日1000アクセス近くになったと思います。*4
しかし仕事が2年目になり忙しくなると更新が出来ない状態になりました。正直深夜残業・休日出勤当たり前の生活の中で、定期的に何かをするのは非常にしんどいことです。オフ会なども一度だけやりましたが、なれていないことだし精神的にも疲れていたためあまり楽しめませんでした。そんな中荒らしなどに閉口して日記に何気なく書いたこと*5に対して、常連だった人たちが怒りだし結局雑談用の掲示板を廃止することになりました。
そのときは半年にわたって続くプロジェクトの一番厳しい開発の時期だった*6こともあり非常にショックでした。「忙しくなければ」、「精神的に余裕があれば」避けられたかもしれないと思ったりしますが、元々人付き合いが下手で基本的に他人にあまり感心が持てないので遅かれ早かれそうなったような気もします。そのときに「君が成長すればまたやり直せる」みたいなことを言われたけど、いまだに成長できてない気がします。同時期にHPを始めて同年代のNarinari.comさんなんかはすごいと思います。継続する力と自分を貫く力と他人の意見に耳を傾けることが重要なんだろうなあと思います。
あとは惰性で少し更新しましたがゲーム自体への興味が薄れ、ゲームボーイの認知度も自分がどうこうするレベルではなくなっていたし、他のゲームボーイ関連のサイトもあるので更新はもう全くしていません。
一応自分では片隅で一時代を築いたと思ってたりしています。初期の段階では良くやった方かなって。サイトのあり方として今ブログとかで気軽に情報を出せる分、ネット上での人と人との付き合いって希薄な気がします。別に変にべったりするのを求めてる訳じゃないけど。逆にそれは嫌だし、他人に言うときに人が嫌がらないかめちゃくちゃ気にしてる。
はぁ結局何がしたいのかなぁ。あるとすれば、またバナーキャンペーンみたいなお祭り騒ぎがあって色々な人と騒ぎたいというのと、あとは結局実生活でも同じだけど誰かに誉められたいんだろうなぁ。

*1:そのときに非常に役に立ったのはGeocities.comをはじめとする海外の無料HP開設サービスでした。しかし結局制限が多い無料サービスでは満足できず、たまたま見つけた「BIWAKO CEFI CORP」というサイトの無料HP開設サービスに申し込み、シェルアカウントや自前のCGIが使えるかなり自由な環境を無料で手に入れることが出来ました。「BIWAKO CEFI CORP」が無ければ「ポケット倶楽部」にあんなに力を入れることもなく、ひいては今の職業に就いていなかったかもしれません。

*2:もちろん40のパスワードは全てゲットしました。

*3:でもあのころはどの検索エンジンも帯に短したすきに長しだし色々癖もあったので色々検索テクニックを使わないと探せなかったのですが、今は同じことをやっても検索するのが楽そうで微妙です。まあ見つからないところは本当に見つからないですけど

*4:今(2005/9/20)はアクセスカウンターが壊れて1回リセットされましたが通算で150万アクセス程度あると思います。

*5:精神的なガキばっかりとかいう内容だったと思います

*6:作業が深夜に及んでタクシーで帰ることも